きがるに書くログ

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『「国境なき医師団」を見に行く』(いとうせいこう)感想

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いとうせいこうは本書、というか本書のもととなった連載のための取材で「国境なき医師団」に同行することが決まった際、「プルーフ・オブ・ライフ」の提出を求められた。

プルーフ・オブ・ライフ

これはなにかというと、「本人しか知り得ない単語」のことで、なぜ必要かというと、たとえばその人が誘拐されたとき、誘拐されたのが本当にそのひと本人かを確認するのに必要な単語なのだそうだ。用途が超ハードな「秘密の質問」。

 

国境なき医師団(略称MSF)、実は毎月定額の寄付をしているのだけど、寄付してるくせに公式サイトとかニュースレターとかで読める情報くらいのことしか知らない。

それもなんだかな、と思い、いとうせいこうによるルポルタージュである本書を読んだ。

読んでよかった。「国境なき医師団」で活動する人たちの思いだけでなく、なぜわざわざ危険な地域にまで(それこそプルーフ・オブ・ライフなんてものを用意してまで)出向くのか、彼らを突き動かす存在の一端がわかった気がする。これからも寄付をする。

 

著者が同行したのはハイチ、ギリシャ、フィリピン、ウガンダの4カ国で、期間は2016年から2017年。

著者の目と耳を通して、現地の街並みや人々の暮らしやMSFにまつわるあれこれ、単純にへーと思うようなことから胸にのしかかってくるシリアスな光景まで、様々なことが伝えられる。

 

たとえば冒頭に書いたプルーフ・オブ・ライフのこともそうだし、MSFの関連施設には盗聴に備えてそれぞれコードネームが付いていることも「へー」である。しかもそのコードネームのセンスが洒落ててカッコいいらしい(セキュリティの関係上具体的な情報は非公開)。

それからフィリピンでは、著者がスラムの屋台で買った昼食を見つめる子どもたちの視線や、MSFが主催する避妊の啓蒙活動に熱心に耳を傾ける女性たちの姿から、そこに存在する貧困がなまなましく伝わる。

インドが「途上国の薬局」と呼ばれていることも初めて知った。

というのも、インドでは医薬品の特許取得のハードルが高く、そのおかげでジェネリック医薬品の価格競争が盛んになり、途上国にも手が届きやすい薬価が実現しているのだそうだ。

一方、ギリシャでのミッションで使用する医薬品は、ギリシャが先進国であるがために途上国向けの安価な価格設定が利用できず、一般価格で買わざるを得ないことを知る。

そのギリシャでは難民がスカイプで母国の家族と連絡を取る姿に胸が詰まる。こんないびつな形で便利さが行き渡るとは……。

 

取材の内容上、現地のきびしい環境を目の当たりにせざるを得ない。

それでも本書の全体的なトーンが暗くないのは、MSFスタッフたちのポジティブな人柄のおかげだろう。休暇の日にはパーティを開くこともあるらしい。
(もちろんパーティは情報交換の場であり、ストレスマネジメントの一つでもあるのだけれど)

彼らは言うまでもなく熱意に燃えたプロフェッショナルであり、本書のいたるところでその優秀さと熱さと志の高さがひしひしと伝わり、そのたびにページをめくる手がしばらく止まる。こういう人たちに寄付をしているのだな。

 

そうは言っても貧困や紛争の問題は大きすぎて、その前ではMSFも無力であることも、本書を読むとよく分かる。2020年にはアフガニスタンでMSFが運営する病院が襲撃されて24人が亡くなった。

それでも彼らは諦めずにできることをやる。世界の問題に対して人間ができることは「できることをやる」くらいしかないのだ、たぶん。

そして現地で人を救ったりできない(僕のような)人にできるのは、寄付で支えるとか、そういうことぐらいだなと思う。ということで、これからも寄付をする。