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難民に「将来の望み」を聞く理由 『ガザ、西岸地区、アンマン 「国境なき医師団」を見に行く』(いとうせいこう)

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いとうせいこう氏による「国境なき医師団」(略称MSF)同行ルポルタージュの第2弾。(第1弾の感想はこちら

今回の行き先はパレスチナガザ地区と西岸地区とアンマン。行き先からわかるとおり今回の旅は前回以上にものものしい。

どのくらいものものしいかというと、著者は渡航前にMSFから「両祖父の名前」を提出するよう求められる。

なぜかというとガザに入る際、両祖父にアラブ系の名前が入っていないかを調べられるから、だそうだ。この時点で緊張の度合いが違う。

 

そんな緊張のなか現地の病院での取材が始まるわけなのだけど、その取材を通してわかってくるパレスチナの現状が壮絶でクラクラする。

たとえば反イスラエルのデモが頻繁に行われているパレスチナでは、デモのたびに参加者はイスラエル軍から銃撃を受けるため、病院では銃創を負った患者があとを絶えないこと。

しかもデモで怪我を負った者にはハマスイスラエルと対立するイスラム原理主義組織)から金銭が送られるらしく、失業率の高いパレスチナではデモで撃たれる以外に暮らす道がない人もいること。

イスラエル軍は銃でデモ参加者の命を奪うのではなく、「足を撃つ」ことが圧倒的に多いこと。

なぜなら、人を殺すよりは足を撃った方が国際的な非難は少なく、しかも撃たれた者は周囲の人間がその世話をしなければならなくなるのでパレスチナ側の国力を削ぐことができるから。

 

本書での取材対象者はめちゃくちゃにセンシティブな状況にあるのだけれど、彼らへの接し方に関してハッとしたことがある。

本書でも前作でも、MSF広報の人はよく「将来の望みは何ですか」「母国に帰ったらどうしようと思いますか」という内容の質問をする。

この質問、著者はきついことを聞くんだなと思っていたそうなんだけど(僕も思っていた)、途中でこの質問には重要な意味があることに気付いている。

 むしろ、どんなに過酷な状況下にある者にでも、将来を聞かなければならない。少なくとも聞かれた者は、答えはどうであれインタビュアーは自分に未来があると考えていると思うからだ。つまり、それは決して酷なだけの質問なんかではなかったのである。
 いや酷だと思っていた俺の方が残酷なのであった。まるで相手に明日がないかのように扱っていたのと同じなのだから。

こんな過酷な状況にある人に未来のことなんて、つらい思いをさせるんじゃないか。そう考える人は多いだろう。

でも、過酷な状況だからこそ、未来のことを聞かなければならないこともあるのだ。
(とはいえ本書では「こんな足で未来があると思うかい?」と聞き返される場面もあるから、つらい質問であることには変わりないのだけど)

 

緊張した中東情勢の一方で、パレスチナの人たちの親切さ、にこやかさも印象深い。

市街地の人達も患者たちも、部外者である著者たちに、ごくフレンドリーに手を振ったりする。MSF広報の舘さんは取材中「誰も恨みつらみを言いませんね」とつぶやく。

気やすい美化は慎むべきだけれど、いつミサイルが飛んでくるか知れない状況でも他人に親切にできるところに、人間という生き物のたくましさを感じずにいられない。

彼らの生活が良くなるといいと、素朴に思う。

 

試し読み版もある↓