「許せる」ようになるヒント 『人は、なぜ他人を許せないのか?』(中野信子)
芸能人のスキャンダルとかSNSでの炎上案件とか、自分に直接関係ない問題にもいちいち「許せない!」と正義感を暴走させてネットで叩きまくる人がいる。
本書ではそういう状態を「正義中毒」と呼び、人はなぜ正義中毒に陥ってしまうのかを、科学的な観点から分析、解説する。
本書は主に自分の正義中毒を苦しく思っている人に向けて書かれた本だけど、僕はむしろそういう「正義中毒」の人がとても苦手な人間だ。
そういう人を目の当たりにしたときの嫌な気持ちを、自分の中でうまく処理する助けになるかと思って読んでみた次第である( つまり「ボクはそんなことする人たちとは違いますよ」みたいな顔して彼らのことを許せていないのだ)。
本書の主なターゲット層とは微妙にズレてそうだけど、「『他人を許せない人』を許せない人」が読んでみた感想を簡単に書き残しておこう。
科学の本ではあるけれど科学的な説明はあまり深くない。そのぶんスラスラとページが進む「読みやすい」本だと思う。
で、本書によれば人が「正義中毒」に陥るのは脳の構造上仕方のないことらしい。
例えば、人間の脳には、裏切り者や社会のルールに反した人を攻撃するとドーパミン(快楽物質)が分泌する仕組みとか、見慣れていないグループの人たちがみんな同じに見えて、ステレオタイプ的な見方をするバイアス(「外集団同質性バイアス」という)が備わっているという。
これらの脳の仕組みによって、人を叩くのが楽しくてやめられなくなったり、他人に対しての共感が妨げられたりするのだ。
つまり「正義中毒はなくならない」ということなのだけど、見方を変えれば「そういう仕様なら仕方ないよね」と諦めの気持ちで許すこともできるだろう。
もっと言えば、そういう仕様なら当然、自分にも起こりうることであって、自分を戒めることもできる。
本書を読むと、いかに人間の脳が、現代社会の基準からするとやっかいな作りになっているかが分かる。
結局のところ、人間である以上は他人にも自分にも完璧を求めないほうがいい、ということなのだろう(言うは易し)。
なお、本書によると怒りをコントロールするのに欠かせない論理的・分析的思考は「前頭前野」という部分が司っている。
前頭前野は慣れていることばかりしていると使われなくなって衰えてくるので、あえて慣れないことをしたり、普段読まないような本を読んだりして、前頭前野を鍛えるといいそうだ。
「禅ブーム」に対する著者の考察も印象に残った。
禅が世界的なブームになって長い時間がたちますが、この背景を私なりに考察すると、個人としての教養、修養以上に、もはや解決しようのない対立、結論の出しようのない問題に人間としてどのように向き合ったらいいか、そのヒントを探しに来ている人が多いのではないかと思うのです。
世の中は複雑で簡単な答えなんてないのに、つい簡単な答え(ぽく見えるもの)に飛びついてしまう。自分の「正義」に反するものを見るとすぐに攻撃を始めてしまう(そしてドーパミンを出しちゃう)。
そこをグッとこらえて(本書の言葉で言うなら「メタ認知」を働かせて)、いったん自分に「待った」をかけることが、怒りに棹をさすことであり、他人に優しくすることであり、自分の人生を穏やかにするということなのだと思う(言うは易し)。