きがるに書くログ

「マカロニグラタン」と同じアクセントです

本ばっか読んでる人間に特有の概念:「次の本」

趣味らしい趣味が読書くらいしかなく、ここ数年はだいたい常に切れ目なく何かしらの本を読んでいるのだけど、こういう(「たまに本を読む」とかでなく)「常に何かしら読んでる」タイプの本読みには「次の本」という概念があると思う。

「今の本」の次に読む本のことだが、この種の本読みにおいてはそれが生活に溶け込み切っているというか、「あるのが(その人にとって)普通」みたいな意味を帯びる点で、少し独特な概念である(こういう「次の本」概念あるよね?)。

この「次の本」は大抵すぐ決まる(もしくは「今の本」を読み始める前から決まっている)のだけど、なかなか決まらないときが、たまにある。候補の本がどれも「気分」じゃないときだ。

こういうとき、世の本読みたちがどう対処しているかは知らないが、おれは完全に調子が狂ってしまう。

読書以外に趣味がないから、空いた時間をもて余すのだ。これがけっこうメンタルにくる。こうなると読みたい本に出会えるまで鬱々としながらamazonとかを漁り続けるしかない(で、見つかったら肩の荷が下りてお祝いでもしたくなる)*1

よくないな、と思う。精神の拠り所が読書しかないから、読みたい本がないと、もうそれだけでだめになる。一般に「趣味は多いほうがいい」と言われるのは、このためだ。

車椅子の小児科医、熊谷晋一郎さんに「自立とは『依存先を増やすこと』」という言葉がある*2。なんでも自分でできるのが「自立」だと思いがちだが、逆なのだ。

熊谷さんは手足が不自由で、日常生活には他者の助けが欠かせない。だからこれは他者との関係についての言葉だけど、一人の人間の内的なあり方についても言えると思う。

「次の本」が見つからなくても、ほかの「依存先」があれば落ち込まない。なにか新しいことを始めたい。でも結局「その時間があったら本読も」ってなるのである。うーむ。

*1:書きながら思ったが、こういうときこそ本屋に行くのがいいのかもしれない。ついネットでばかり本を探してしまう。

*2:

www.univcoop.or.jp