きがるに書くログ

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『親切の人類史』を読んでちょっと救われて、ちょっと寂しくなった話

マイケル・E・マカロー『親切の人類史 ヒトはいかにして利他の心を獲得したか』を読み終えた。「血縁者でもない赤の他人を助ける」という性質を人間がどのようにして獲得したのか、という謎に、進化心理学の観点から迫る本である。

言うまでもなく、人間は他者を思いやることができる生き物だ。自分が損をしてまで他者を助けることさえある。

しかし人間の進化という点から考えると、他者を思いやる個体は悪賢い個体に出し抜かれて、とうの昔に淘汰されていてもおかしくないように思える。なぜ実際にはそうならなかったのか?

著者に言わせれば、このことは「動物学における世界最大級の謎」であり、「現代人が示す、完全な赤の他人の福祉への配慮は、動物界のどこにも似たものが見つからないどころか、ヒトという種の歴史の大半を通じて、影も形もなかった。正真正銘、一度きりのできごと」だという。

重厚な本だが面白かった。ためになったし、ちょっと救われた気分になり、ちょっと寂しくもなった。

 

(本の内容を紹介するための記事でないので)詳細は省くけれど、本書を読むと結局のところ他人への親切は「自己利益の追求」だとわかる。

人間は本能的に他者を思いやるようにはできていなく、血縁者はともかく、赤の他人に対してはむしろ共感の回路を閉じてしまう生き物らしい。

それでも人間が血縁者でもない他人への親切心を獲得した要因(のひとつ)が「互恵性」を好む本能だ。

「親切にした相手からお返しをもらう」とか「親切にした相手からはお返しをもらえなくても、周りの人からの評判が高くなって結局自分が得をする」とか、そういう互恵性による自己利益を追求する性質が、赤の他人への親切の獲得につながった要因(のひとつ)だという。

それから、たとえば「自然権」とか「正義」といった理念に適うように行動すること自体をよしとするような、広い意味での自己利益も、人間が他者を助ける理由に含まれる。あからさまな自己利益ではないが、これも結局は自己利益のうちと言える。

(めっちゃ端折った説明なので詳しくは本書を読まれたし。紀元前から21世紀にかけて、思いやりの対象が「隣人」から「世界中の他者」に広がっていく過程を描く七章以降も面白いよ)

 

自分のために他人を助けるというと、真っ先に「偽善」という言葉が浮かぶ。

おれはよく(いや「それなりに」というべきか)寄付をするのだけど、寄付をしようとしているとき、「結局自分がいい気分になりたいだけの偽善なのでは?」と考えてしまうのは「寄付者あるある」だと思っている。しかし本書を読むに、本質的に親切とは「そういうもの」なのだ。

それならば開き直って素直に「いいこと」をすればよい。「あるある」への救いになる知見である(もっとも、寄付することに慣れてくると、そういうことはあまり考えなくなるものだけど)。

……なのだけど、その一方で「巡り巡って自分のため」論は、ちょっと寂しいとも思う。「この人のために何かしてやりたい」という気持ちが、実は自己利益を求める本能からでしたなんて、寂しいじゃないですか*1

中島岳志『思いがけず利他』は「巡り巡って自分のため」じゃない利他について考察した本。

 

*1:すごくいい人っぽいこと書いてしまったので付け加えると、おれ自身の寄付の動機は(恥ずかしいので詳しくは書かないが)広い意味での「自己利益」のためだ。でも、そうじゃない善意が世の中にあってほしいじゃないですかっていう話である。