生きる意味がわからないのは「当然」なんだぞ『仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える』(泉谷閑示)
人生に意味はあるのかと問われたら、僕なら「ないよ」と答えるだろう。
人生なんてそんなもんさ、生きる意味なんてないのさとか言って、まあそれで特に問題なく過ごしているけど、実はちょっと寂しく感じたりもする。
そんなわけで手にとったのが本書である。
タイトルに「仕事なんか生きがいにするな」とあるけれど、内容的には「生きる意味を~」の部分に重みが置かれていると思う。
やたらと労働を賛美する「労働教」から抜け出して人間らしい生を取り戻すべきだと主張しつつも、やはり「生きる意味を考える」ことが本書のメインだ。
生きる意味なんて「ない」と答えるほかないと思っていたけれど、他の答えというか、「生」に対する他の態度というかがあるかもと、本書を読み終えて考えている。
本書で印象に残ったところを以下にまとめてみよう。
生きる意味が分からない人が増えた理由
精神科医である著者によると、近年では「生きる意味が分からない」「自分が何をしたいのか分からない」など、自らの実存に関する悩みを抱えた患者が増えているらしい。
なぜ、その手の悩みが増えているのか?
昔は「物質的、経済的に豊かになる」という目標が「生きるモチベーション」として機能していたが、十分豊かになった現代では大したモチベーションにならないのだ。
ほかにも、世の中のテンポが速くなるにつれ「すぐに役に立つもの」が世の中に溢れ、自分の内面を見つめる機会が隅に追いやられていったことなども相まって、実存的な悩みを抱える患者が増えたという。
そんな現代という時代で「生きる意味がわからない」という悩みが持ち上がってくるのは必然的なことだと著者は指摘する。
意味を求めることで意味が生まれる
そう、生きる意味がわからないという悩みは、ある意味当然なのだ。
ところで、そもそもの話、人生に意味ってあるのだろうか?
この問いに対して著者はこう答える。
「意味」は決してどこかで見つけてもらうことをじっと待っているような固定した性質のものではなく、「意味を求める」という自身の内面の働きそのものによって、初めて生み出されてくるものなのです。
ここで著者が依拠してるのは名著『夜と霧』で知られる心理学者V・E・フランクルの「意味への意志」という概念だ。
フランクルは「人生に意味を求める心の働きこそが人間の本質である」と唱えている。
つまり意味のある生にはこちらからの働きかけが必要なわけで、「意味がない」状態がデフォルトということか、人生というのは。
人生を味わうということ
では、人生に意味を生み出すには何が必要なのだろう。
著者によれば、人が生きる意味を感じられるのは心と体が様々な物事を味わい喜ぶときだ。
そして、人生を「味わう」ためには様々な物事に対して「創造的に遊ぶ」ことだと主張する。
その精神を表した言葉が、アメリカの画家ロバート・ヘンライの引用だ。
芸術家は人生についての考え方を世界に教えている。金だけが大事だと信じている人は、自分を欺いている。芸術家が教えているのは、小さな子供が無心で遊ぶように、人生も熱中して遊ぶべきだということである。ただし、それは成熟した遊びである。人の頭脳を駆使した遊びである。
人生の時間を丸ごと遊ぶ
「人生を遊ぶ」と言うと、なんか壮大な感じがするけれど、どうやらそれほど壮大な話ではないらしい。
人生を味わうことを労働のあとの「ご褒美」にせず、普段の日常を遊ぶことで「人生の時間を丸ごと遊ぶこと」が、人間らしい生に必要だと著者は言う。
「人生の時間を丸ごと遊ぶ」とは、言い換えれば「日常をなんとなく過ごさない」ということだろう。
「効率的」は正義か
本書によればどんなことでも「遊び」になる。
たとえば「行き先を全く決めずに出かける」とか「献立を全く決めずに食材を買う」とか、そんなことでも「即興に身を任せる」ことで、単なる日常が創意工夫に満ちた経験になるという。
ふつう出かける時は目的地を決めるし、スーパーに行くときも献立を決めてからのほうが効率的だ。
でも、「遊び」に効率を求めてはいけない。無駄の上に遊びは成り立つものであり、結果ではなくプロセスにこそ面白味がある。
ここが個人的には耳が痛くて、僕は「効率的」とか「合理化」とか、そういう言葉が好きなのだ。
本を選ぶときも「この本から何を学べるか?」という目で「役に立つ」本を選びがちで、それで読み終えてから「有意義な読書だったなぁ」とか言っちゃったりする。
それを自分では「いいこと」だと思ってたんだけど、もっと即興的に気になった本を選んでもいいのだな。
何者かになる必要はない
著者の主張を「生きている時間を目一杯楽しもう」とまとめちゃうのは簡単だけど、フランクルやヘンライ、ニーチェや夏目漱石など古今東西の思想に基づいて展開するところに説得力がある。
人生の意味なんてないと思っていたし、本書によればそれはある意味正しいのだけれど、もっと「熱心に」遊ぶことで、意味のない生が違う見え方をするのかもしれない。
「何者かになる必要などなく、ただひたすら何かと戯れてもよいのではないか」という著者の言葉が、肩の力を抜いてくれる。