人生はむなしい 『生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミスト・シオランの思想』

「どーせいつか死んじゃうんだからさ、気楽に生きようよ!」
こんな感じの人生観を披露する人は、正直苦手だ。
こういう人はどうせ、なんだかんだ生きるのがうまくて生き延びる力がある人にちがいない。だから「気楽に」生きられるのだ。
一方、こういう人生観はどうだろう。
「生きるどんな理由もなければ、ましてや死ぬどんな理由もない――齢を重ねるにつれて、私はますますそう思う。だから、根拠などまるでなしに生き、そして死のうではないか。」
言ってることはそんなに違わない。それでも後者には惹かれるあなたには、この本が力になるだろう。
「ペシミストの王」に学ぶ
本書は「ペシミストの王」と呼ばれる思想家シオランの思想を紹介する本だ。
ペシミストとはペシミズムを、つまり「この世界を最悪なものであるとみなす考え方」「生きることを嫌悪する考え方」を支持する人のことだ。
要するにとても暗い思想の本である。
でも、この暗さが却って人生を、うまくいかないことでお馴染みの人生を生きていくヒントになっているのだ。
年をとったせいか、ぼくは昔ほど「生まれてこなければよかった」と思わなくなった。
それでも、心に大事にしまっておきたくなる言葉に満ちた「生きる知恵」を授けてくれる本だ。
人生はむなしい
本書(とシオラン)は、人生をあらゆる角度から繰り返し否定的に論じる。
そのなかでも究極的なのは「人生はむなしい」と語る第五章『人生のむなしさ』だろう。
この章は最初から最後まで「人生はむなしい」という内容の章だ。
人生がむなしいこと自体には薄々気づいている人は多いだろう(多いよね?)。
この章を読むと、あぁやっぱり本当にむなしいんだ、と改めて思う。
そう、人生はむなしい。
だって、どんな生き方をしたって最終的にはすべて無になるのだから。
苦労し続けて死んでいくのはむなしい。しかし成功しても最後は「無」に行き着くのだから、どのみちむなしい。
これは一人の人間の人生の話にとどまらない。
後世に語り継がれるような偉業を成しても、地球が滅びてしまえば、それきりだ。
シオランくらいになると宇宙規模で世界を見て、そしてやっぱり人生をむなしがっている。
けさ、ある天文学者が、宇宙には何十億個かの太陽がある、と喋っていた。聴いたあと、私は洗面をやめてしまった。いまさら顔なんぞ洗っても仕方がないではないか。
(本書より引用)
気が滅入るだろうか。でも、ここからが少し元気になれる(かもしれない)ところだ。
シオランいわく、「死は有効性と無効性の両方を正当化する」。
これは要するに「どうせ死ぬのだから、何をやったって構いやしない」ということだ。
この言葉、投げやりに見えるが実はかなりポジティブじゃないだろうか?
我々の日常には「やりたくないけどやってること、やらなきゃいけないこと」があふれている。
最たるものが仕事だし、人付き合いとかもそうだろう。
でも「何をやったって構いやしない」のなら、「何をやらなくたって構いやしない」とも言えないだろうか?
こういう考えは、ある種の「呪縛」から逃れる力になると思う。
逆に、一度きりの人生だからと思い切ったチャレンジに踏み込むこともできる。
(もちろんその場合も最後は「無」に行き着くことを承知の上で、だけれど……)
いずれにせよ、「あれをやれ、これはやるな」という世間の圧力から距離を置くことは、生きることを楽にするだろう。
「人生の勝ち負け」はむなしい
人生の「勝ち負け」についても同じだ。シオランはこう言っている。
たぶん、君は勝つかもしれぬ。それに君が負けるにしても、いずれにしろどうでもいいではないか。この世に勝ちとるべきものが、失うべきものがあるだろうか。
(本書より引用)
よく「人生に勝ち負けなんかない」と言うけど、違うのかもしれない。
本当は「勝とうが負けようがどうでもいい」のかもしれない。この言葉も大事に胸にしまっておこう。
なぜシオランは響くのか
「どうせ死ぬんだから真面目に考えるな」というのは、それほど新しい考えではない。
だけど、ペシミズムの観点からそれを言われると妙に響くのはなぜだろう?
ぼくが思うに、ただポジティブなだけの言葉にはない「真実味」がそうさせるんじゃないかと思う。
普通、人を元気にしようとする言葉は、物事の明るい面を見るように我々を仕向けるだろう。
しかし、これは多くの人が実感していると思うけど、元気になるにもエネルギーが要る。
落ち込んでいればいるほど、「元気出せ」と言われるとキツいのだ。
そういうときはポジティブな言葉が空虚に聞こえて、信じられない。
一方、落ち込んでいる人にとって、とことんまで暗いシオランの思想には真実味がある。
いや、落ち込んでいる人だけじゃないだろう。たぶんこの世は苦しみがデフォルトだ。
仏教にも「一切皆苦」とか「怨憎会苦」とか、生きる苦しみを表した言葉がある。
その意味でシオランの言葉には空虚さがない(いや、むなしいと言い続けてるけどね)。だから響くのだ。
ペシミズムを宿して生きる
とは言え、ペシミストになるのも簡単じゃない。
嬉しいことがあれば、人生のむなしさなど忘れて舞い上がったりしちゃうものなのだ。
というか、別に本書は「ペシミストになろう!」と勧誘する本でもない。
本書を読んだあとでも、ぼくは死ぬまでに嬉しい出来事がたくさんあってほしいと思っている。たぶん多くの人がそうだろう。
それでも心のどこかにペシミズムを宿すことは、生きることを楽にするはずだ。
実際には、うまくいかないことのほうが多いだろうから……。
