きがるに書くログ

「マカロニグラタン」と同じアクセントです

「ひとり」を選ぶ

暗い話だと思わないでほしいのだけど、友達がいない。本当にいない。

友達と呼べる人間と遊んだのなんか高校生の時以来、10年以上も前だ。

今では休みの日はほとんど一人で過ごしている。

かわいそうに見えるだろうか。本人としては全然平気で、むしろ大いに楽しんでいる。

一人でいると本を読む時間がたくさん取れるし、気が向いたら好きな時にNetflixモンティ・パイソンとか観てもいいし、買い物してもいいし、昼寝してもいい。

強がりでなく、一人でいるのが好きだ。来週の休日も待ち遠しい。

 

もっとも、ずっと友達のいない生活をしているから(恋人は推して知るべし)、友達がいる生活とフェアな比較はできないけれど、まあまあ満足していることは確かだ。

友達や恋人がほしいとも特別思わないし、結婚願望も(「そもそもできないだろう」というのは置いておいて)ない。

「いらない」と拒否しているのではなく、「いなくてもいいや」っていう感じだ。

世間には一人は不幸みたいな風潮があるらしい。でも万年一人の僕としては、そんなことないのに、と思う。

どのくらい共感が得られるかわからないけれど、「いや、一人でいるのも楽しいよ!」と言いたい。
(もちろん、一人が好きじゃないのに一人でいざるを得ない人がいるのは知っている。単なる「僕は一人好きだけどなぁ」という独り言として読んでほしい)

 

とはいえ、以前は一人の時間を楽しみつつも、いつも一人でいるのは不幸な人生なんじゃないかという不安はどこかにあった。

それが、ふと「まてよ、自分は本当に友達が欲しいのか?」と疑問に思ったときから、考えが変わった。

このままでも十分楽しいのに、休日に誰かを誘ったり誘われたりしてどこかに行くような生活を、わざわざしたいだろうか?

好きな相手と一緒に過ごすのは楽しい時間だろうけど、楽しい時間ならすでに手にしている。

なにより「黙っていることが苦にならず、しゃべることが苦になる」人間なので、そもそも人付き合いというものに向いてないのだ。

「酸っぱいぶどう」にならないように気をつけないといけないけれど、友達がいれば相手に気を使ったりとか、それなりに苦労があるだろう。

一切気を使わないでいい「もう一人の自分」みたいな存在は、たぶん幻想だ。

それなら今のままでも悪くないよね、100点じゃないけどね、と気づいたとき「いなくてもいいや」の境地に至った。ぼっちの黒帯になった瞬間である。

 

最近読んだ『「一人で生きる」が当たり前になる社会』という本に、人付き合いの得意・不得意には生まれつきの要素と後天的な要素があり、後天的な要素は1歳半くらいまでで決まると書いていた。

この説明に従えば、僕は明らかに「向いてない」人間だ。

幼稚園の遠足のとき、周りが友達と遊んでいるなか、一人でウルトラマンごっこをしていた記憶がある。この時点ですでに向いてない子供だったのだろう。

そのまま向いてない大人になってしまったので、もう自分に向いている過ごしかたをした方がいいと思っている。

 

結婚についても、「生涯独身」に対する世間の目は時代とともに変わると思う(もっとも、世間の目なんか気にしても仕方ないのだけど)。

上述の『「一人で生きる」が当たり前になる社会』によると、2040年の日本では独身者(離婚・死別含む)が人口の47%を占めるという。

このくらい一人が当たり前になったら一人でいることへの見方も変わるだろう。堂々と一人でいればいいのだ。

 

好きな相手と一緒にいられるのはいいことだ。好きで一人でいるのもいいことだ。

どっちが幸せとか不幸とかじゃなく、向き不向きなのだろう。その向き不向きに素直でいた方が楽しく生きられる。

一人であろうと誰かと一緒であろうと、自分にとってちょうどいい濃さの人間関係を持てるといい。