言葉選びがいい『大事なものは見えにくい』
哲学者・鷲田清一のエッセイ集。
なんと言っても言葉選びがいい。いくつか引用しよう。
学生のときはそれなりにしのいできたつもりだ。一度かぎりの当て物のような試験で、その後の生活の大筋が決まるという、ひとをばかにしたサバイバル・ゲームのような制度のなかで、それをゲームとして割り切ること、ぜったいに本気にならず最短時間で要領よく切り抜けること、つまりはこんなところに人生の本舞台はないとじぶんに言い聞かせることで、そのつどなんとか切り抜けてきた。選ばれなくてもとことん落ち込まなくてもすむように。
(「ひとを選ぶということ」)
二つ、おもったことがある。一つは、筋の通った人生というのは、虚構や思いなしを養土としているということ。そのことを知りつくしていたらしいご老人は、スタイルの一貫性で身を支えようとした。(後略)
(「あの人が突然いなくなった」)
対話能力がないと大人は嘆くが、かれらがなぜそっけないのか、なぜぎこちないのか、その理由をきちんと見分けることをしないと、身をふり返ることのない、ただの舌打ちで終わるだけだ。
(「いきなり本番」)
一部分だけ切り出して伝わるか分からないけど、「一度かぎりの当て物」とか「思いなし」とか「ただの舌打ちで終わるだけ」みたいな言い回しがいい(そのうちこのブログで「思いなし」とか言い出すかもしれない)。
言葉選びだけでなく、言ってること自体も、もちろんいい。
一冊を通してはっきりと分かりやすく設定されたテーマはないが、(他者の話などを)『聴く』こと、他者をケアすること、老いることや死ぬことといったテーマがよく出てくる。
聴くというのも、話を聴くというより、話そうとして話しきれないその疼きの時間を聴くということで、相手のそうした聴く姿勢を察知してはじめてひとは口を開く。そのときはもう、聴いてもらえるだけでいいのであって、理解は起こらなくていい。
(「納得」)
著者の視点に一貫しているのは他者の心に寄り添おうとする思いやりだ。どんどん早く、便利になっていく世の中で、人々のあいだから忘れられつつある優しさがある。
現代の世を憂える内容が少なくないから(賛成するにしろ、しないにしろ)読み疲れるところも正直あるけど、それでも読むたびに頷きたくなる言葉がたくさん収められている。Kindleのハイライトでページが真っ黄色になるやつだ、これは。
著者の物事に対する洞察は深く、教養が感じられる。
……などとおれが書くと、どうもありきたりな言い回しになるのだけど、
まなざしがどれほど遠くまでおよぶか、どれほど深く測鉛を垂らせるかは、おそらくはそのひとの「教養」にかかっている。
(「身を養うということ」)
著者の言葉にかかるとこうなる。「測鉛」もいいが「まなざし」がいい。
言葉に力を生むのは書き手の「まなざし」の遠さと深さ、それを裏付ける教養(著者が教養人なのは本書のいたる所でわかる)なのだなと納得する。そしてやっぱり言葉選びがいい。
ほかにも引用したい言葉はたくさんあるけど、このへんで(引用しすぎて著作権侵害にならないか心配)。