きがるに書くログ

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意見の対立を乗り越える 『はじめての哲学的思考』(苫野一徳)

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ネットをみると、みんなよく怒っている。

どうでもいい問題から、どうでもよくない問題まで、ギスギスした批判合戦を繰り広げている。

なるべく見ないようにしているのだけど、たまたま目に入るとしんどい。

それぞれに大事な想いがあって言っているのだろう。でも、もう少し、こう、別の仕方でできないものか……とも思う。

ネットのギスギスに哲学を

『はじめての哲学的思考』は、いがみ合いじゃない「建設的な対話」のための知恵が詰まった良書だ。

哲学はこれまで2500年間、答えの出ない問題にぶつかっては考え抜き、解決や納得に人々を導いてきた。

その思考法を分かりやすい言葉で教えてくれるのがこの本だ。

とてもいい本なので、多くの人に知ってほしいと思う。特に感心したところを紹介させてください。

 「共通理解」を見つける思考

哲学的な思考とは、どういう思考のことか?

一言でいうと「"共通理解"を見出す思考」と言えるだろう。

本書によれば、哲学とは、ある命題の「○か×か」を明らかにするものではない。

そうではなく、「共通理解」(意見の違う者同士でも納得し合える部分)を見出し合おうとする営みだという。

そもそも、物事を理論的に考えようとする限り、どんな主張も何かしらの矛盾や例外を指摘できてしまうと著者は言う。

つまり「絶対の真理」など存在しないのだ。

「絶対の真理」を探すのをやめ、できるだけだれもが納得できる「共通理解」を探すのが、哲学的思考だ。

哲学的な思考は、「不毛な対立」を「建設的な対話」に変えられる。

問いを立て直す

どうしたら、その建設的な対話ができるようになるのか?

本書を読むと、不毛な対立が続くときは、そもそも「問い方」を間違えているのだということに気づく。

この「問い」をなんとかするのが第一歩だ。

哲学の本領の半分くらいは「ニセ問題」を「意味のある問い」へと立て直すことにある、と著者は言う。

ニセ問題とは二項対立、「〇〇は××か」「Aか?Bか?」などの問いのことだ。

こうした問いに絶対に正しい答えを出すのが不可能なのは、先程説明したとおり。

では、ニセ問題を立て直すとどうなるのか?本書の例を見てみよう。

「生きる意味」を哲学的に問う

問いを立て直すとは、たとえば、

私たち人間が生きている絶対的な理由はあるのか、ないのか?

という二項対立の問いを

人間は、一体どんな時に生きる意味や理由を感じることができるのだろう?

という問いに変えるということ。

前者の問いで議論しているうちは、存在しない「正解」を求めて意見をぶつけ合うだけに終わってしまう。

後者の問いだと、「対立」の構図が、相互理解できる第三のアイデアを探る「協同」の構図に変わるのだ。

「対立」を「協同」に変える。これ、意見が対立するいわゆる現場で重要じゃないだろうか?

あの人にルールを守らせるには

とはいえ、われわれはつい「間違った問い」に陥りがちだ。

本書では、そうならないための哲学的思考のポイントを解説している。

すべては紹介できないけど、個人的に一番強く頷いたものを紹介する。

現代を覆う問題に、めちゃくちゃ効きそうな思考法だ。

条件解明の思考

それは、「条件解明の思考」と呼ばれる思考法。

「~しなさい」「~すべきだ」ではなく、「どうしたら~するようになるだろう?」と考える思考のことだ。

人間はしばしば「命令」の思想を持つ。自分や他人に「ルールを守れ!」というのもそうだろう。

しかし、繰り返しになるけど哲学的には「絶対の真理」などない。

だから、絶対にどんなときでも正しい命令はないと考える(「人を殺してはいけない」などですら)。

それに人間の意志は弱いから、実際問題として「命令」は守られないことも多い。

それなら「どうしたら人は~するようになるのか」と考えるのが、条件解明の思考だ。

「ルールを守れ!」という命令から「どうしたらルールを守ってくれるか?」というアイデアの出し合いへ。

使えそうなシーンが身近に思い浮かぶ人も多いだろう。

「徳の騎士」にならないために

これに関連して本書では「徳の騎士」という言葉が紹介されている。

ヘーゲルという哲学者の言葉で、自分の信じる正義を掲げて、それに従わない人を断罪する人を指すという。

ときにその行為は、「正義」の名のもとに他者を傷つける独善的な行為になる。

たとえば、「困っている人を助けないのは人間として間違っている!」などときつい言葉で批判すること。

大抵の場合、そうやって批判された人間は改心するどころか、逆に意固地になる。

それに、困っている人を助けられない事情が、それぞれあるかもしれない。

そこで「条件解明の思考」の出番がくる。

「人に思いやりを持て!」

ではなく、

「どうすれば人は人を思いやれるんだろう?」

と考える。

このほうがずっと建設的だし、実際に人を思いやれる人も、きっと増えるだろう。

今ほど、この言葉がしみる時代もない。

「その問いかた、あってる?」

意見が対立したとき、われわれは結局「人それぞれ」で済ませがちだ。

それで済めばマシかもしれない。延々と攻撃し合うことも多い。

そんな実りのない対立を乗り越えるのが哲学的思考だ。

対立するどちらか一方にでも、「その問いかた、あってる?」と問う姿勢があるだけで、見えなかった道が見えてくる。

感情的な議論から一歩引いて考えることは、自分のメンタルを守ることにもつながるだろう。

多くの人が身につけるといい考え方だと思う。

相手の粗ばかり探していても、みんなイヤな気持ちになるだけなんだから。

 

はじめての哲学的思考 (ちくまプリマー新書)